まず一歩、そこから足し算(そして…)
15年前の絵をみながらふと思う。あの時「絵描きになる」と決めてアクリル絵の具と筆とキャンバスを買い「さぁ描くか」と思うも、キャンバスの前に立ち尽くすのみ。とにかく何も出てこない笑 そりゃそうだ。
でも全てはそこからのスタート。足し算が始まる。無いのだから足すしかない。苦笑。
技術もアイディアの作り方も言葉もしらないのだ笑。
あったのは、何かわからないけど心から湧き出る「これやったら面白いそうだ!」という自分への提案だったと思う。何もしらないっていうのはすごい笑。子供の火遊びに匹敵する楽しさと怖さがある。あの時(今でも覚えている)「いつかNYCで個展を開いて色々な人と知り合いになるんだ」(とバスキアの映画を見ながら、本気で可能だと思っていた)すごい。
そして持っている全てで描きだしたんだと思う
何も無いってのは幸せなことだったのかもしれない。勝手に夢が描けるわけで、XX美術大学みたいなところへいっていたら、無限クリエーティブであるべき世界にある尺式定規(という矛盾)業界レールに迎合した可能性もなきにしもあらず。実際にXX美術大学出身の人からは「あなたはアーティスト向いていないし、そんな甘く無いよ」と頭ごなしにエネルギーを奪われた事もあって、そう思うのだ。(実際、XX教授の紹介でプロジェクトに参加した!とか、XXさんという芸能人と知り合いになって個展をした!、などという巷の話に憧れ、有名人と知り合うことへの憧れもあった時期もあるけど、そっちの一歩はもう誰かが既に何度も踏みつけている道の一歩だったのかもと思う、俺は行かなくてよかった)
自分で踏み出した一歩。あとは後付けでいいんだって本気で思えた事も幸いする。俺が会社を辞めようが海外引越ししようが、誰も本気できにしちゃいないし、誰も困らないんだなと本当に思う。困るのは自分だし、自分で困らないように知恵をはたらかせればなんとかなる。だからいつもこの一歩は大事。
ただダウンサイドもあったと思う。自分の出した一歩が何千歩目かになると振り返る瞬間があった。自分は一歩目の時とは考え方も感じ方も違う人間になっていて、なにか文句がでやすくなっていたことも多分にある(帰国子女が日本人固有の特性に揶揄するような感じに似ている) 生産的でない自分にも嫌気がさしながら、そこからの一歩目に躊躇がかかる。そんな時期もあった。周囲を批評する自分が果たして何を成し遂げたか?と自問しても、そこには周囲を納得させるものはなかったし(その周囲との比較は全く意味のないことなのにも関わらず)次の一歩目を踏み出すスピード感が落ちていることに嫌気もさしていた、と思う。
だから、それで、そして…すぐに壊す
そんな時は、自分の内側からやり方を壊すという事が鍵になっていたと思う。
Aがだめなりゃ、Aは実際に積み上げてきた道でも、必要ならばAは壊す。
そこからBやらCやらの一歩を始める。ここが良いと思う。
この事に怖さはなかった。以前、ロスアンジェルスの商業主義バリバリのアートの世界に片足をツッコミ、乗じてギャラリーが売れる絵を描くよう俺に対しての指示が増え出した、少しだけ業界で名前をしってくれる人がでてきた、そんな時、そこに俺の自由が奪われていく気がした。描きたい絵を描けばいい、じゃ「今の絵のスタイル」をやめよう!とそこまで自分の売れた名前も壊しても良いと踏み切った。(ギャラリー関係者は怒ってた、笑)
おれは描きたい絵、違う絵を描くんだ、という一歩を踏み切った。
そうそう、でも、もちろんその時も、
15年前と同じ自分がそこにいた。さぁ描くぞと思えど、何もでてこない。
キャンバスの前に立ち尽くすのみ笑)
でもそれでいいんだ。
ここからもそれでいく

