スポーツと一緒で、サイドステップだけでは前進しないのだな、と思う今日この頃です。
ジェンダーの多様性など、あーそういう考えもあるんだなー、と一般的に色々な人が知るきっかけになったのは良かったです。しかしですね、今はサイドステップの幅が広がっただけ(極右左)で、そこでの極論の議論の反復を繰り返すのであれば、しばし前進ははないのかな、と感じています。(極端に左にいったら次はまた共和党でしょうね、そして次はまた民主党でしょうね)
そこにある私の意見は単純です。
なぜに「私はノンバイナリーです」どと先に主張しないといけないのでしょうか?私は人生で「男です」などと主張したことがない。アメリカではマイノリティーとして嫌な思いもたくさんしましたが、まず初めに自分から聞かれてもいないのに「おれは日本人だ」なんて言わなかったですね。なので、よくわからないのです。。。自分は、相手が、ゲイだろうが、外国人だろうが、あまり意識することはないですし
ゲイでも悪い奴いっぱいいますよ。トランスジェンダーでもです。例えば、男性が好きな人は女性的とはかぎらず、男性の性欲の強さのまま、「おれはゲイ」だと、普通に男の又をまさぐってくるわけです。こんなん女性にやったら、つかまるぞ!と冗談で返しますが。。。ま、冗談にならない場合もあるでしょうね。(セクシャルマイノリティーだからって何やってもいいってわけじゃない。。。性格の悪い奴もたくさんいるでしょ?)
その人の人柄ですよ、重要なのは!
いいやつは、「何」であろうが、どういう趣向をもっていても、いいやつです。悪い奴も同じくです。結局はそいつの人柄だというところがニュートラルポジションの中心にこないと、左右の話、このての話は「前進」しないと思います。ニュートラルなポジションで、それぞれの事項をそれぞれの要素に基づいてテイラーメイドのCONVOスキルがないと「前進」はないでしょうね。(例:性別のスポーツ競技の問題? トイレ使用?、、、それぞれ条件や議論の点が異なります)ノンバイナリーにしなくてはいけないのはその「考え方自体」だと思うんです。そして思うんです、友達だって三者三様です。それぞれに時間を割いて考えていけば「幸せ」があると信じています。
PS。日本のように海外情報、丸呑みで、指摘を受けると、我々は後進国だとすぐにおもってしまう傾向がある国では、アメリカのように左や右を言い出すと、サイドステップの幅も狭い中での議論となるでしょうし、二元論のバイナリーな考え方になってしまいます(ゲイ、ジェンダー、という言葉は、外来語です。ちゃんと意味や使いをローカライズして理解をしようとしないと危険です。。。多分ね。

私は「サラリーマンである前に男(漢)です」と会社で納得のいかない局面で発言したことがあります。
こういう主張をするやつは、サラリーマン向いてないのでしょうねw
間違いないですw