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🇲🇽🇺🇸フェンスの話

ちなみに、、、国境の話ではありません yo(笑)

世界各国翻訳すれば似たような言葉でも文脈が異なる事が多々あるなと思うわけです。例えば「尊重・リスペクト」と言われる言葉の文脈でいうと、日本の場合は多くの場合、「親に感謝」「目上の人に挨拶」という上下関係の文化にもあてはまり、または「相手の思いやり」「相手の気持ちになる」と言ったその社会性などの文脈がふくまれてきたように思います。

多くのアメリカ人と仕事しながら感じたのは(本当に人それぞれなのですが、傾向はありますという話です)「リスペクト」=個人の敷地に足を踏み入れない、という関係性をさしている点でした。一般的には、政治や宗教の話はもちろん、個人=プライベートの話は公の場所、職場、などでは「踏み込みません」し、ましてや仲がいいからと言って、個人の行動や考えに忠告、意見はしません。個人間には見えないフェンスがあって、それがどこにどう存在しているのかを知る事=彼らにとってのリスペクトなのかもしれません。

で!

面白い話があります。以前メキシコ系アメリカ人の建築家のレクチャーを聞きに行ったことがあるのですが、彼が言うにアメリカでみられる一般的な家はオープンな前庭の芝生があって、その奥に家がある。メキシコ系の家は、前庭にはよくメタルのフェンスがあります。

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フェンスがあるメキシコ系のコミュニティーでは、井戸端会議をよくみかけます。みなさんフェンス越しにビールなど片手に、井戸端会議です。なので、地域のコミュニケーションが盛んです。みんながみんなをよく知っており、口喧嘩も結構あるようです。それが彼らの文化みたいですね。一方一般的な前庭の家がある地域ではフェンスがないので、フェンス越しの会話はもちろんありません。前庭に水を巻いている人に「こんにちわー」と声をかけるのが(通り過ぎる時間的に)精一杯のコミュニケーションです。

フェンスがあるから、個人の領域(入ってはいけない部分)が明確化する。そして自分と他(外の人)のコミュニケーションが深まる。面白いコンセプトでした。通常は逆な気がします。フェンスは元々は防犯対策でしょうから、フェンスが人を遠ざけて、人々の交流の妨げになるのかと思っていました。なるほどなーと思ったわけです。

おそらくですが、ここは私の意見なのですが、「対話の目的が明確化」していることがKEYだと思います。例えば、メキシコ系の方達は「コミュニティー内の共存」が目的です。フェンスはツールであって、その共存のためのコミュニケーションを豊かにします。そのように感じます。

リスペクトと境界線を考えながら思う事:

コミュニケーション不足が問題化している場合は、目的の境界線や意味が明らかである場合があればいいのだと思うのです。一般的なアメリカ人の間でも、会議やディベートなど目的がはっきりしている場合はかなりの意見交換、議論が白熱するのを見てきました。お互いがどこまで何をいっていいのか、求めているのか、目的は何か?あらかじめ会話の「明確なフェンス作り」を設定すると、企業の会議も会話も活性化するのではないかなーと思う、今日この頃です。

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