気がつけば、掘り続けている。
ディスカバリーゲーム。
でも最近は、掘り方が変わったと思う。
地球に住んでいる以上、物理的に、どこでも掘った先は、トンネルの先だ。だから、物理的に客観性をもって、そう考えていた。終着地点を決めて、掘っていた。
昔はね、仕事のやり方もそうだった。目標を決めて、できるだけ明確化して掘る先を決めて掘っていた。掘る先が想像できる範囲で掘る。トンネルできたら気持ちいいんだけどね、それよりも、いつまでにとか、いくらかけてとか、その後、通行量がどうなるとか、どういう利益がでるとか、そういう定量的な事がもっときになっていた、達成感志向の、、っていうのかな?、そういう掘り方。
今は少し違う。
出会う事柄、1つ1つに注目する。そうすると気づいたことがある、トンネルの掘り方とは違い、貫通を目的にしない掘り方。発見が目的な掘り方。
以前、量子力学の科学者さんから聞いた事がある、水素分子の中にどれくらいのエネルギーがあるか、誰も知り得ていない。。。なんかそれに似ている。
そうなんだよ。
俺の細胞ですら掘り続けたら、ある瞬間「客観性をもった尺度」の概念が消える瞬間が来るのだと思う。XXcm、XXm、なんてのは、もう、わからない世界。俺の細胞の中に、銀河系が存在している可能性は否定できないでしょ?
おもしろい。
じゃ俺の考える「概念」はどうだろ?ってね。
Ideaっていう物質的でない抽象的な事にもそれはあてはまるんじゃないかと思う。ある瞬間その中には「尺度」の概念がふっと消えて、ぼっかーんと、壮大な、なんというか限界のない世界がそこに現れる、そんな可能性を信じているし、少しずつその掘りながら、何かを発見するゲームをエンジョイしているかもしれない。
だから掘る。そうね、確かに掘り方はかわったかもしれない。
絵)アメリカで初めて描いた絵。これは俺の俺を「掘る」探査宇宙船だったのかもしれないね。目の無い目でみる世界、発見しにいくぞ!。。。ってか!
