アーティストになって感じたのは、俺は本来は内向的であるという事。ただそこまでの人生で内向でいられることのできるチャンスは少なかったね。自分でも気づいてなかったわけだし。ただねある瞬間がきて「マジ疲れた!やってらんねー!」ってね
俺には幼少の頃から常に役目があってね。愚痴を聞く係であったり、家族兄弟の面倒を見る、家族の音頭をとる、といったことであったりね。なんとなく自分の欲求を言う事は罪に感じてたね。それの鍛錬ゆえなのか、外交的に人の間で振る舞う事は「その」延長上にあって、上手にできた方で、ただ逆に、どんどん元来の自分らしくいる安寧の感覚は遠のいたかもしれんね。色々あってね、もうやらんよ。
そうそう、今日は、まぁ、こんな話はさておきなんだけどね、色々な人と付き合いながら、きづいた事があったんよね。記録でもしておこうかな、と思ってね。
「愚痴をいうヒト」
今考えれば、周りには、この手の人が結構いた。自分も人の問題を聞けば、何か助けになれれば、と思うしね。傾聴する。そうするとね、「愚痴を聞いてくれて、ありがとよ!」なんて言われて、「おれも生きてる価値があるなー」「俺のやってきた事もヒトの助けになれば、報われるなー」なんてコロッと思っちゃってたわけよ、バカだから
でもね、わかった(※勿論そうじゃない相互的につきあえる友人もいる、が!って話ね)
この手のヒトは「自身の問題の解決策」は求めていないという事。そして全くヒトの話は聞かない。自分の愚痴さえ聞いてもらえれば、結構毛だらけ猫灰だらけなのだよ。
実験じゃないけど、「OK。じゃさ、おれの話きいて」って話してごらん?たちまち「イライラ」しだしたらね(するよ、その手は、絶対)もうまさにそれは「その手のヒト」よ。
俺はバカだからさ、問題解決したらいいだろう?なんておせっかい?いやいや、正直にいうとさ、ヒトからありがとうって言われたい「欲」があったんだろうね。当時は、そういう自分を他人に委ねるリスクを知らなかったというかさ、、、苦笑
(逆のパターンもいる。「あなた問題かかえてるわよね、でも大丈夫!」なんてヒトに近づいてくる「あの手」もいる。すると、あらっ私問題あるのかしら?聞いてみよう、お金出してみよう、と思ってしまう人もいる。こんなマーケ商法たっくさんあるよ、世の中に。またこの件は別途書いてみます)
ヒトは変えられない。愚痴をいう人はさ「ヒトに吐き出せばすっきりする」っていう勘違いの方程式を、なぜか、やめられない。SMの世界だよ、そんなん。根本の問題を解決しなければすっきりはしないだろ?だから、すっきりしないまんまが良い?。。。そういうSMサイクルに身をおきたいのだとしか思えないのよ。(誰しもSMの巻き添えはゴメンよな?)
そりゃ、友人が困っていたら、本気で解決する手伝いできないかなって聞くわけだけど、それは解決しよう、行動しようって事がその関係性の「本契約の第一条」に書いてあるわけだから話し合うわけでね。。。
だからね、それ以外はね、、もうやんない。時間ないんよ、おれ。できればね、色々考えたい、やりたい事がたくさんあるからね
