時間かかって気がついたことがある。
俺のジェットコースターが下降する。この時、創作の方向性を見失う自分がその最前列に座っていた。周囲から声がかからなっていった。長いこと下降する。速いのだろう、声も聞こえなくなった。少しずつ自分の存在価値に疑問が始まった。なぜだ?
下降中に考えたことは「誰がただただ意味もなく、意気消沈してるようにみえる野郎なんかと仕事がしたいか?」ということだった。どんなやつと仕事したいか?そりゃ一人でなにか(黙々でもいい)楽しそうにしてる奴だ。クラスでもいただろう?そういう奴にはクラスの奴らは「ねぇ、何してるの?」って聞くんだ。
だから。
お前は、下降は楽しいからそのジェットコースターに乗ってるんじゃねーのかって。だって、自分で選んで「下降」を続けるんだろう?もがきだって、そうだろう?なにか見つけたいんだろう?じゃなきゃ、やな事、辛い事は、すぐにやめればいい。そうだろう?自問を繰り返してきた。

気持ちいい、楽しいなんて事は、ひとそれぞれ、フワフワとハッピーということでもいいし、しかめっ面しながら、もくもくと何かにとりくんでいてもいいんだ。
そして、わかったのだ、自分のもがきや模索は「ゲーム」だ。難しいゲームもたくさんある。難しいけど楽しんでいるのだろそのゲーム?お前は? 「そうだよ。」
そして、今、作品制作、、、この考えを継続するプロセス、進行形のプロセス自体を表現、そこに楽しさがある。結果の答えを用意しない、プロセスが答えだ。
すると、色々な人たちから声がかかってきた。いつもそうだ。ジェットコースターが駆け上がる。
おれが、時間かかって気がついたことは。。。
そう、物体が下降している時はKinetic Energy(運動エネルギー)、上昇エネルギーを蓄えている。又、またジェットコースターは上昇する。そう求めれ「ば」だけどな。
異なる繰り返し(矛盾の美学)。これが今の所、過去10年以上の間、俺に起こっている事だ
PS. そしてこの時こそあたらしい「挑戦」をするんだ。見たこともない事、やった事もない事、知らない場所で、しらない人と仕事をするんだ。そうして良い事も悪いことも、今までとは全く違う種類の何かで感じるんだ。
