以前日本で親友が死んだ。
「あんたは粗悪品。だからせめて人のため家族のために尽くせ」というプログラムで俺は生きていた(このプログラム、俺には選択権はなかった)。海外挑戦、アーティスト挑戦の発端の理由の一つは「飛び道具」挽回策。当時、家族親戚が乗っていた舟は経済的にも関係性的にも沈む一方で、舟から水をかき出しても沈没は止まらんかった。だから家族のためになんとかしようと思いついて行動した起死回生の「飛び道具」策だった。
米国生活、飛び道具の現実化が見えない、そんな焦りもある。納得いかない事があればすぐ喧嘩をした。いつも身の回りの360度をギョロギョロとスキャンを繰り返した。
結婚し義理家族も増え、全ては「家族」の発展=新しい幸せ、につながると嬉しかった。しかし人のために尽くすプログラムは海外で2倍以上の稼働率になりガス欠でもアクセルベタ踏み状態となった(と後で気づく) そしてわかったのは、そんな事は俺が勝手にやった事で、誰も気にしちゃいないってこと。だから誰も理解もできないし、その必要もない。
そしてプッシュバック。約20年間闘った中で、いつからか管理の効かないエネルギーがでてくる。勝手にそれは起こる。もう一気にお前はお前の全てをやめちまえ!というわけのわからない思いが占領してくる。これには参ったのだ。
そんな時に日本で親友が死んだ。
自分の娘を思う、俺は父さんだ、絶対生き続けよう。それだけは。そう思った。なんとか継続して生きることを選ぶ、そういう知恵しか残らんかった。自己解放を解決策にUFOキャッチャーのように環境から自分を取り除くんだ。その親友と過ごした日本に戻り、彼との楽しい時間を思い出しながら何かを希望した。人のためにではなく自分を解放しようと試みた。
結果的に言えば(私は別世界で進化変容していた)日本は私にとってはもう外国で、いつも俺の話を聞いてくれた親友の彼はもういなかった。だが、独り両手両足を広げて、自己ドアを開けてみる事はできたかもしれない。それは良かった。自己のドアを開ければ不要な価値観やら余計なモノも入ってくることもあったが、まぁ何事もゼロイチのバイナリーではないのだ。ーーーその歳で「自分で自分を選ぶ」という事を生まれてはじめて、やり出せた。よかったよ。
昨年ゴールデンウィークに緊急入院した。
「死ぬ可能性がある。緊急入院」の診断。死ぬ事に対してはじめての感情が芽生えた。以前と異なる心があった。今俺が取り組んでいる全ては一つもやめられねーんだよ!このまま死ねるか!医者の診断を無視して次の日、自己強制退院を遂行。
以来こう思う。人生一回しか生きられないなんて嘘だ。俺は生きている、毎日毎日何回も何回も生きると決めて生きている。そりゃ誰しも死ぬのは一回かもしれんが、その一回を上回る何回もの「生きる」をする。俺は妻と娘の3人で、何回も何回も生きるぜ、とふつふつと湧く感情に自信を持つのだ。死を基点に自分の生きる選択や進路を委ねて得られる事は何ひとつもない。そういうことだ。
さぁおはようさん、今日も早起きしてジムに行くHave a good one, every one
2024年4月某日5:00am トウキョウ、ジャパン
