img 7320

駅前韓国留学(22歳)

1995年(재일일본인 탄생.)

学生の時、韓国の会社なんて知らずに面接受けて入った韓国の会社。

最終面接はさ、周り学生、ほぼ全員バイリンガル(+)。早稲田や慶応やら。履歴、能力、肩書き、全て、負けパターン(笑)

社長との最終面接、俺には何もなかったからね、その場で楽しそうな事を必死に考えて、皆を笑わせようとするしかなかった。ドキドキです。そしたら500分の1、奇跡、面接で俺は一人残った。

働き出して感じたのはね、、、今考えりゃ、日本社会では、幼少からね、どっかしっくりこない自分を感じていて、それを、なんていうか、日本特有のお前の素性や学歴とか関係ない、っていうか「そもそもお前誰だよ!」ってその新しい環境が言ってくれてるようでね、すごい心地よかったね。

1/3は本国からの駐在員、1/3は在日韓国人、1/3が日本人。

当初、能力で言えば、韓国語も英語もできない、職歴もない。とにかく頑張るしかない。売り込み先の日本企業は韓国企業をのっけから馬鹿にしてるし八方塞がり。普通会社に入れば会社の看板で仕事をする。ここは違った、1995年はまだまだ、韓国ブランドの看板が「手枷足枷」になった(笑)マイナスからのスタートだよ、マジで。頭こねくり回して、体動かして、やるしかなかった。でもその工夫が楽しかったね、今考えりゃ。

社内でも「おれは外人」ってことが、初めて心地いいってすごいわかったからさ、外人だから、やることやりさえすれば、何やってもいいっていう特権を全面に押し出したかな、笑(そんな特権なんてないか?笑)

そんな俺でしたが、会社では本当みなさんに可愛がってもらった。家に呼んでもらったり。ハングルもその人たちのおかげで(当時はね)仕事のプレゼンくらいはできるようになったよ。(ちなみに、今も、仲間と思ってくれて、お前は在日日本人재일 일본사람だな、とからかってくる友人たちがいる、笑)本当感謝感謝。あの経験がなければアメリカにもいかなかっただろうし、イタリア語も他の言語もできなかっただろうと思う、今の俺はないね、それだけは言える

もし、将来何かやりたいことがわからなきゃ「今」を頑張ればいい。まずはガードを下げてガムシャラに進むだけでいい。

で、いつか、ふと、将来が気になって、自分はココまで、何を学んできたんだろうって思うかもしれない。そん時はさ、「次のそのドアの見つけ方と開け方を学んだんだ!」って思えたらいいかもね。その先の事は誰も知らないし、あけてみなきゃわからないんだから、考えてもしょうがない。。。。(俺は責任とらないけどね笑)でも、それでいいと思うんだぜー、俺はね。

そしたらそのドアを思い切ってブチ開ければいい。そして、それを繰り返せばいい。

って感じでね、やってきたし&やっていくし(つづく)

Leave a Comment

Your email address will not be published. Required fields are marked *

Discover more from TaksanArt

Subscribe now to keep reading and get access to the full archive.

Continue reading