診断ラベルは大嫌い
ADHD、こういう大きい単語は気をつけるタチで、自分からあえて自分に奇妙な診断ラベルをつけることは好きでは無い。生意気ながら「こんなもん、人によるだろ?!」が基本姿勢。
俺には集中力が無い(やばっ)…
しかしだが、集中力がないという事、否めない、まじで、幼少の時は集中力がなかった。簡単な子供の本すら読めなかった。とにかく360度いつも周囲が気になるし、すぐに色々な考えが生まれてきてその考えに埋もれていく。集中力がないことは、よく怒られたし、馬鹿にもされる。無理やり周囲に同調しようと必死に隠して生きていたと思う。
こんな俺が集団のリーダーに
ただ、集中力が異常に出る事もあった。それは「人の為」という時だったと思う。なぜか学校のリーダーやクラブのリーダーになることが多かった。でも自分からリーダーになりたいと思った事は一度もない、むしろ嫌だった。周囲の要求に応えて、集中して、走り回ってヘトヘトになる自分が想像できたからだったと思う。
これじゃいかん。。。自分のことには全く集中できない。しんどい気持ちは解消されなかったかもしれない。仲間のことはよく知っている、でも俺の事がわからない。
俺自身は何がしたくて何が好きなのか、わからない。もしかすると、俺自身のことは諦めて、俺がこの世の中でサバイバルできるのは唯一誰かの為に生きていくことか、とさえ思い込んでいた時代がある。しかし、自分のガソリンタンクはエンプティでもアクセルベタ踏みだったせいか、カツカツ、カリカリ。心身、痩せていた。
ADHDってなんだ?!
何度も言うが、自分は診断はうけたことないし、受ける気もない。
でも、ADHDが何物かと調べたことで少し自分の気持ちが楽になったことがある。(下記はインターネット引用)
- 狩猟採集民の生存戦略(ハンター・イン・ザ・ファーマー理論)
かつての狩猟採集社会では、一つのことに集中するよりも、周囲の小さな変化に素早く気づき(不注意・衝動性)、次々と新しい場所を探索する(多動)特性が、外敵からの防御や食料発見に有利だったとされています。現代の定住・農耕型の社会システム(学校やデスクワーク)に適合しにくいため「障害」と見なされますが、本来は生き残るための有効な戦術でした。 - 過覚醒とリスク回避
ADHDの人は脳の報酬系や覚醒レベルの調整が独特であるため、常に刺激を求める傾向があります。これは見方を変えれば、危険な状況に対して「常に警戒態勢(防御態勢)を敷いている状態」に近いとも言えます。 - 二次的な心理的防御
心理学的な側面として、周囲からの批判や失敗の多さから自分を守るために、あえて「衝動的に振る舞う」「関心をすぐそらす」ことで、深い傷つきやストレスから無意識に自己防御しているケースもあります。
なにかわかってきた、なにかあてはまるぞ。。。笑
確かに人間は、動物も植物も集中して一箇所からすべて取り尽くして仕舞えばサバイバルができない。ADHD自体が決して病気ではなく、人間に備わる本能の一つとして考えるとおもしろい。(確かに、俺はサバイバル能力が高い、常に360度警戒していたし、色々な場所で色々な危険を回避してきたし、人も助けてきたと思う)
Dr. Gabor Maté博士(写真の人)のお話
参照(https://www.youtube.com/shorts/rVL3mO68LOU)
彼曰く「ADHDは「障害」ではなく、幼少期のストレスや、満たされなかった感情的ニーズに対する反応であることが多いのです。幼少期の経験や環境は、脳の発達や集中力に大きな影響を与えます。 ADHDを持つ人の多くは非常に創造的で直感的ですが、現代の、変化が速く刺激過多な世界において、注意を向けることに困難を抱えています。回復への道のりは、自己認識と自分自身への思いやり、そして、人とのつながりや心の平穏を育める環境を整えることから始まります。」。。。なるほど、何か自分自身への働きかけがあるといいのか。。。と学びます。
俺のアートとの出会い
アートとの出会いは偶然でもあるし必然でもあるかもしれない。海外でしたし、当時は複雑で色々な理由があったけど、今思うと更なる苦しみへの入り口にもなったかもしれないし、最終的な苦しみからの解放だったとも思える。
解放でいうと、俺は絵を描いている時多様な考えを止める事ができる。絵を描き始めれば、集中できる。俺に取って、初めての体験だった。
しかし、集中は慣れてくると、新たな考えを呼び起こす、巷にあるコンセプトや哲学に頭をスピンさせる、すると心地の良かった集中からは「また」離れていく。。。ここで新しい「何か」を生み出せれば、また集中できる。それの繰り返しだ。
では、質のいい「なにか」をみつけりゃOK
と言う事は、質の良い「何か」が生み出せれば、おれはもっと集中できるわけだとも学んだ。そのために、学ぶのは好きになった。そのために読める活字はドンドン増えていった。難しい本もなんとか読めるようになっていった気がする。外国語もドンドン頭に入っていった。集中ジャンキーになっていく。(嬉しかった。まさかの俺が本を読んでいる)
なので集中できるアートがいい
なので、アートは、色々なことも学びながらは変わらずだし、色々な意味を思い感じながらも、最優先事項は「没頭集中できるか、どうか」にしている。筆を持った瞬間から、ドンドン色を足したり、形を積み重ねて、最終的には何ができるかわからない魅力を感じながら、進みたい。ここの優先がいい。
さらに加速して周囲に気を遣えなくった感は否めないが
もっと読み
もっと学び
もっと描いて
生きていこうと思う
