(絵)プロセスを変えずには結果は変わらないので、聞き手の反対の手で描いた絵をのせてみた。手の拳をクソみたいに握って、血管が充血した状態で、震えながら、筆を持って描いていく、俺だけど俺。コントロールの効かない俺。どれもこれも全部俺。そこに発見があったよ
で、さて。。。
昨今にはたくさんの本がでていて、色々な事を学べる。俺は全然読まないんだけど(笑)。また難しい方法論の本なんかが売れるってことは、一般的に我々は理解力もましている。色々な文脈を理解できるようになっているんだと思う
中でも、XX思考という言葉がどんどん出てくる。本もいっぱいある。聞いてみると結構面白い。なるほど、こういう言葉で思考を表現するのか!などと気づきも多い
でね、これらの一番大きなベネフィットは何かなって思うと、恐らく、会社など団体の中で、新しいコミュニケーションのルールができる点。ってのも、今までただ単純に「特殊だよ!その考え!」なんていう感じで、周りから聞き入れられなかった意見が「でも、この本で、こういう方法論があって、こういう方法で考えを構築するやり方もいいんじゃない?」って言えれば、多くの人が、その発言している個人に対してでなく、矛先が、その本の内容、客観性のある方法論にいく。新しい事に対しての構えが小さくなり、オープンなコミュニケーションができやすくなる、単純に、いいと思う
でもね、1つ言いたいことがある。
「理解ができたイコール実行できる」ではない。これを認識しあわないと団体の中でもうまくはいかないし、そもそも「やっている人たち」へのリスペクトが薄まる気がする。そして「XX思想を読んで見て、理解はできるが実現となると、やったことがない」と会社のみんなでお互いに思いっきり認めることが必須って思うんだ。そしたら、ガード下げて、新しい事だし、そこから一緒に勉強してやっていこう!ってなると思うんだけどね。。。(知ったかぶりが、マウントかましてくるのはどの国も一緒でね。。。)
。。。YOUTUBEみて「本格XX料理」みて料理しても、プロには敵わない。なのにレストラン行って「おれこの前、このレシピで作ってみたんだ」ってね思わず言っちゃうみたいな人いるよね、、、これ、なんか違くない?
自分の事で言えばね、そもそも本に書いてあるようなアート思考に基づいてアートに携わってきた経験は一回もないからね。
じゃ、どうしてきたんだって言われるとね、いつも言うのは、自分がおもいついたことに(自分の手足を動かして)実行の鍛錬を常時変化させながら、継続してやっているかどうか、だけ。そうそう、結果なんか求めないでね、ましてやマネタイズなんかもね考えないよ、で、このプロセスで何を試行錯誤できるか、やれるか、やれなかったらさらに勉強するのか。、、、なんてね、やり方いつも変えてね、しっくりを感じる程にね、定型なんか無しでね。。。。進む。ここが一番楽しい。
でね、他人へのリスペクトに関して言えば、アートじゃなくても、他の仕事でも一緒、趣味でも、家事でも、なんでもそう。「できそう」で寄って来る人間はだいたい「あなたに」リスペクトがない。「できそう目線」で指示してくるよ、多分ね。でね、そういう人はあなたの話なんか聞いてないよ。あとね、「できそう」もそうだけど、「昔やったことがある」ってのも違う。時が経てば、以前やったことも、今となっちゃ、新しく工夫しなおさないとできないもんだ。
これからはね、そうやって寄ってくる人たちはとにかく無視すればいい。もしくは、言い返してやろうぜ:「じゃ、自分でやってみな」ってね
でね、楽しい事、思いっきり、手と足を動かしてさ、やってみようよ!
