時間を早める生活の仕方もいくらでもある。非生産性の中にあっても、あっというまに時間がすぎる、なんてこともいくらでもある。
時の経過は相対的。
さてさて、カメラなんだけど、、、デジタルカメラの普及でそのテクノロジーの恩恵にあやかるも、きがつくと「いつでもドンドン」やってしまう自分がいる。ドンドン撮る。ドンドン集積する。気がつくと携帯のストレージがパンパンになる。
昨今、フィルムのカメラを使ってみているよ。まぁ中々の下手くそですが、楽しんでいる。

なんともいえない、不便性を感じる。自分の家には暗室もないし写真を現像できないので、誰かに頼むしか方法はない。そして待つしか無い。
待って待って、挙げ句の果てに、あんまり出来のよくない写真とも遭遇する。待って待って、思いの外よくできた、なんていうのも巡り合う。

いずれにせよ。。。
この待つ時間のおかげで、その撮影した時の状態が、なんていうのか、伸びる。カメラで言えば、シャッタースピードをかなり遅くした状態とでもいうのか、シャッターが開いたまま、その撮影した場所と時間から、今の今まで「ながくゆっくり続く」思いを感じるのです。
たとえば動物園に行けば、そのときの楽しかった思いや感情も一緒に継続するような、そんな思いをフィルムの現像というプロセスにあわせた時の流れから感じるのです。
「楽しみに待つ=すぐには入手できない」という「しばり」とでもいうのか、こういう条件を身の近くに置いておく事、これが昨今自分にとってはとても重要な気がしています。あっというまに時間が経過していく感覚の中で、自分でその速度を調節できる術を確認しています、多分、笑。 瞬時の思いが、競泳プールの中で、違うレーンで、違うスピードで、おたがいに時間を引き延ばしながら、重なり合いながら、混在している、様なね。
そして、何もかもがゆっくりと流れていく

